佐工務店は住まいの「小さな困り事」から対応いたします。
私は姫路市の出身で、代々住み継がれてきた土地に大工であった叔父が建てた、昔ながらの和風建築の住まいで生まれ育ちました。
家の構造材に使った木材は、近所の山から切り出した物だったそうで、家を建てた頃の話で「母親がまだ幼い兄をおぶって、切り出した木の皮むきをした事など。」懐かしい話を今でも覚えています。
そして現在、地域の皆さまと一緒に「理想の住環境の実現」「住まいの困りごと」に取り組まさせていただくようになり、「家を建てる」「住まいを考える」という事は、今も昔も家族の一大関心事であり、一致団結して進める大切なプロジェクトであると改めて実感しています。
今となっては、多くの人と関わり合いながら「家をつくる」事が大好きな私ですが、小さな時から「家」「ものづくり」が好きという訳ではなく、ただ、なぜか渡部篤史の「建もの探訪」が 大好きで、食い入るように見ていた記憶があります。毎回紹介される「いろいろな家」に興味津々となって「自分の家とは何か違う」という思いが探究心の発端になったように思います。
しかし、成長と共に幼い興味の芽生えはいつの間にか忘れ去られて、中学・高校と部活動に明け暮れる青春の日々に現在も続く仲間との出会いもあり、そろそろ将来の事を考え始める高校最終学年の頃には、「将来どんな仕事がしたいのかわからない」「多くの選択肢に戸惑う」という葛藤の時を迎え、改めて周りを見渡すと、親族・ご近所、渡辺篤史の思い出など、「建築」と「ものづくり」への興味関心が溢れている事に気が付きました。
「ぐるっと回って源流回帰」というのか、自分の事を初めて客観的に観察する事によって、本来の興味の源や自分が目指したい方向が見えてきたのだと思います。
そこからは若者ならではの「とにかく都会に羽ばたきたい」という思いが強く、建築専門学校での生活をスタート。結局、この選択が現在へ続く道となりました。
卒業後は尼崎のゼネコン会社に就職し、現場監督の仕事をしながら「働くとは」「仕事とは」と自問自答の日々、優秀な技術者の方や志の高い先輩に囲まれ、多くの学びの時間を経て、私の礎が築かれていく時代を過ごしました。
先輩たちに建築の基礎を叩き込まれ、感謝と恩返しと負けん気が混然となったエネルギーで、「とにかくいい仕事をしたい」という思いに突き動かされる毎日。早朝から深夜まで一心不乱に仕事をこなしていく日々が4年を経過した頃、どこか物足りなさを感じるようになり「若さ」や「勢い」だけでは無い、もっと本質的な根っこの部分を追求したいという思いが大きいものとなって、地元の工務店への再就職を選択。「もっと建築を深く学びたい」「お客様が見える仕事をしたい」という思いで、木の家づくりを得意とする工務店の仕事に飛び込みました。
再就職先での仕事は、自然素材・デザイン・性能を追求した家造りと、魅力的な要素に溢れ、今までとは畑違いの事もあって戸惑いもありましたが、建築を学ぶ意気込みは人一倍強かったので、分からない事は徹底的に学び、吸収し、実践していきました。
仕事に励み、のめり込めばのめり込み程に喜びも実感も多くなって、お客様・業者さんとの距離も近くなり、家造りの楽しさ、仕事をする楽しさを感じ、どんどん追求していきました。
結果、現場監督を10年。新築、リフォーム、設計事務所の現場管理や、オーナー様宅の定期点検、メンテナンスなど全てに対応できるようになりました。
現場管理技術はもちろんですが、軽微なメンテナンスであれば自身で対応する技術が身についた学びの10年でした。
その後、営業・企画に7年携わり。税金、土地、ローン、こだわりの建築工法など、家造りの知識を広く深く学べた事は現在も大きな糧となっています。
そうして、多くのお客様や仲間に囲まれ、また家造りに対する思いが膨らむ大好きな会社での日々は、自分の考える「家」「笑顔」「楽しさ」「繋がり」「暮らし」をより追求したいという、強く大きな思いを育み「佐工務店」が誕生しました。
自分の姓の一文字に志を込めて、また「佐」と書いて【たすく】と読む意味に願いを込めて。
地元地域の方々の住まいの願いに寄り添って「小さな困り事」から「家族の一大プロジェクト」まで、なんでも解決できるよう誠心誠意で取り組みます。
姫路の地域密着型工務店として、お客様・業者の皆さんに愛される工務店を目指します。
生まれ育った姫路で、今まで出会った人、これから出会う人のご縁を大切にして、奇をてらう事なく、これからも一歩一歩、毎日の日々を丁寧に歩んでいきたいと思っています。
- We support to build your house.
Passion and love for home building.